大小さまざまな建物が十数棟、それぞれ少しずつ異なった形の展示棟が森の中に点在する。ヨーロッパ中世の町並みに似合いそうな、レンガ造りの外壁に取り付けられた重い鉄の扉を開けると、中は完全なホワイトキューブだ。
デュッセルドルフ中心部からクルマで20分程走った処に、インゼル・ホンブロイヒ美術館はある。ドイツ語のインゼル(Insel)という単語は、島または中州の意で、海だけでなく川に囲まれて孤立した土地をも指す。実際は川に囲まれている土地は、この美術館敷地内のほんの一部であるが、この土地を彼らはインゼル・ホンブロイヒと呼んでいる。
デュッセルドルフは、ノルトライン・ヴェストファーレン州の州都。大きな街だ。近現代作品の優良なコレクションを持つ州立美術館でアートファンに知られる。東京のオフィス街のような街並で、あまりヨーロッパらしくなく、スーツ姿のビジネスマンが忙しそうに歩いている。デュッセルドルフの隣町がノイス。インゼル・ホンブロイヒ美術館のある町だ。クルマを走らせるとすぐに、森や畑がそこかしこに見えてくる。
美術館のチケット売り場を出て鬱蒼と茂る木々の間を抜けると、少し開けた場所に出る。しかし、美術館らしき建物はどこにも見当たらない。周囲に生えている木や草花は、あまり人の手が入っていないように見える。渡された地図を頼りに砂利道を進んで行くと、木の陰から最初の展示棟が目に入ってくる。立方体の角を落としたような外形。レンガ造りのシックな色合いの外壁と、室内のホワイトキュープのコントラストにまず驚く。中は、展示替えのタイミングなのか、何も置かれていない。
地図によると、2番目の展示棟はこの森の中で一番大きい建物のようだ。最初の展示棟を通り過ぎ砂利道の遊歩道を再び歩いて行くが、木や草ばかりで展示棟は見当たらない。地図に従って小さな橋を渡ると、木の隙間からレンガ壁が見えてくる。展示棟の周囲に建物と同じ高さの木が、建物を取り囲むように立っている。
ここで、設計者の意図にハタと気づく。ここの草木は人の手が入っていないどころか、巧妙に計算されて植えられている。全ての建物は、砂利道に従って移動する参加者からは、木々によって意図的に隠されている。展示棟のすぐ近くまで来てやっとその存在に気づくという仕掛けだ。最初の展示棟に何も作品が置かれていないのは、展示替えだからではなく、このインゼル・ホンブロイヒのコンセプトを象徴的に表している作品だからだ。この建物自体が、彫刻作品としての役割を担っている。
展示棟内には、近現代作家の作品が置かれている。高い天井のホワイトキューブは自然採光がほどこされ、天候に応じて室内の様子はダイナミックに変わる。イヴ・クラインの真青な海綿彫刻に、天井の擦りガラスを通った陽の光があたり、雲の流れに応じて次々と表情を変えていく。展示棟内に置かれた多くの平面、立体作品がミニマルアートで、照度や温度、湿度の変化を敏感に反映するものが選択されている。作品の横には、アーティスト名、タイトル等を記したキャプションが一切無い。展示棟と展示棟を結ぶ遊歩道には、道案内の標識も一切無い。チケット売り場でもらえる地図がなくなったら、今どこに居るのかさえも解らなくなる。この島の訪問者は、木に隠された展示棟を発見し、展示棟内に置かれたキャプションの無い作品の意味を発見し、このインゼルの設計者の意図を発見する。
いくつかの展示棟内には、現代作品のほかに、中国から出土したと思われる石像やテラコッタが置かれている。そして何故か、レンブラントの版画作品が大量に展示されている展示棟もある。そして、それぞれの展示棟には、監視員がひとりも居ない。不思議な時間の流れる森に囲まれた場所がある。
午前10時の開門から一通りの展示棟を見てまわると午後1時頃になっていた。最初は雨が降っていて傘をさしながら遊歩道を歩いていたが、午後になると青空に太陽が輝いていた。最後の棟はカフェテリアになっている。ここでは、セルフサービスの軽食が振る舞われていて、料金は「心付け」のみ。つまり、実質タダだ。軽食を食べてから、再び出口でもあるチケット売り場へ向かう。そう言えば、出入り口付近にちょっとした展望コーナーがあった。改めて眼下を見渡すと、展示棟はひとつも見えない。ここからこのインゼルのコンセプトが始まっていたのだ。
このインゼルから1キロメートル程で歩いて行ける所に、安藤忠雄設計のランゲン財団美術館がある。安藤得意のコンクリート打ちっぱなしの壁面に、20世紀以降の作品が並ぶ。クルマで行くと、ずっと大回りをしなければたどり着かない。チケット売り場のスタッフに道をよく聞くこと。
軽食ランチが付いて、ランゲンと合わせて入場料20ユーロ。路線バスがあるようだが、一日に数本しか運行していないようなので、公共交通機関で訪れるのはかなりの計画性がいる。帰りのバスの時間を気にせず、ゆっくりと時間を過ごしたい場所だ。
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